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サルベージ髙松のよもだ

サルベージ髙松のよもだ 平成29年9月号
2017/12/28

 年初には広大な宇宙の話をしましたが、今回は「子供のころ」に戻ります。
ご案内のとおり、私は、国税の職場に30年以上、その中でも、マルサ(国税局査察部)に20年近く勤務しました。

 当時、気の許せる人からは「お前、イナゲナ仕事しよるのう!(四国松山辺りの方です。通訳すると:お前、変な(嫌がられる)仕事をしているなあ!)」と言われることもあれば、「普通の人が見れんとこまで見れて、面白かろがやあ!(同じく通訳すると:普通の職業の人が見ることが出来ない、人のプライバシーまで見ることが出来て、楽しいでしょうね!)」と言われました。

 マルサの人種にも二種類いました。人のあら捜しを喜々としてする者と明らかに仕事だから仕方なくあら捜しをしている者です。もちろん、私は人のあら捜しなど大嫌いでした。まあ、言ってしまえば人のあら捜し(強制捜索)を喜々として行っている者は、ある意味、職務熱心ですが、個人的には「イナゲナこうじゃあのう(同じく通訳すると:変な子だなあ!)」と思い、人間性を好きにはなれませんでした。

 それとは逆に、ガサ現場(強制調査現場)で、私が嫌疑者(脱税の疑いがかかっている者)を厳しく追及しているのを傍で見ていて、可愛そうだと泣く「マルサの女」がいました。この女性は「マルサ」という職業人としては失格かも知れませんが、個人的には外見ではなく内面的にこのような子が「本当のお嬢様」なんだなと好感を持って見守っていました。

 私はマルサ時代、勤務時間が長く、午前様帰宅がほとんどでしたが、帰宅してもバタン・キューとは寝ていませんでした。自分を取り戻す時間を1時間くらい取るためにあえて睡眠時間を削っていました。そして、何をしていたかというと、万葉集の本を読んだり、方丈記の解説本を読んだり、枕草子を現代版に置き換えながら読んだり、最新の宇宙物理学の解説本を読んだりしていました。高校時代は予習復習を一切せず、古文・漢文・日本史・物理、すべて面白くなかったのに、とても楽しく興味深いことに気がついたのです。気がつくのがちょっと遅かったですね。

 その様な「自分取戻し」の時間に、私の故郷を題材に「童話っぽい」ものを書いていたものを見つけましたので、さわりの部分を紹介しますので、少しだけ瀬戸内の雰囲気を、味わってください。

題名『 雨ふらんのう 』(四国松山辺りの方言で「雨が降らないねえ!」)

 村の北のはずれのトンネルから、蒸気機関車が出てきました。
そして、白い蒸気の煙を引いて村をとおり抜け、「ポー」と汽笛を鳴らして、南のはずれのトンネルに入っていきます。

 村の畑は全部白い梨の花で、村全体に白いじゅうたんが敷き積まれています。
丘の梨畑から、白い砂浜、緑色の海岸、碧い海、沖には大きな大きな船です。
大きな真っ白い客船は、ゆっくりゆっくり動いて、いつの間にか沖の島影に入って行って見えなくなりました。村の家のラジオからは、どこかで、誰もが聞いたことのある軽快な「内海便り」のクラシック曲が流れています。

 ここは、瀬戸内の、小さな、小さな村。日本とアメリカの戦争が終わって10年くらい経ったころのことです。アー坊は漁師の子。お父さんは小さな舟で網を引き小さい赤いエビをとって暮らしています。アー坊の一番の遊び友達は、キー坊で、お父さんは神社の神主さんです。アー坊もキー坊も末っ子で1人ずつお兄さんとお姉さんがいます。二人とも小学3年生。クラスは同じ3年竹組です。

 キー坊のお父さんが神主さんをしている明見神社(みょうけんじんじゃ)のことを、村の人は「みょうけんさん、みょうけんさん」と呼んでいます。「みょうけんさん」は、高山(たかやま)という低くて小さい山のふもとにあります。
「みょうけんさん」の傍には、小さな「ため池」があって、田植え用に水が貯められた「ため池」の周りは、大きな桜の木がぐるりと囲んでいて、4月4日になると、村中の人達がお弁当を持って、お花見に集まってきます。

 この日ばかりは、大人は一日中酒盛りをして、歌ったり、踊ったりします。子供達も、ちょこっと、大人のお酒を盗み呑みしたりします。お花見の日は、アー坊もキー坊もお母さんにお弁当を作ってもらいます。二人とも、お弁当箱に入っている、寒天で作った、透きとおった赤や緑のゼリーのような甘いようかんが大好きです。一年に一度だけの大好きなようかんです。「みょうけんさん」のため池の水は、田植えの前に、水を全部抜いて、村の田んぼに流します。干上がった池の底には、大きな鯉、フナ、ウナギ、亀などが姿を見せるので、村人総出で、捕まえます。

「みょうけんさん」の社(やしろ)の床下をねぐらにしている、「運平(うんぺい)」さんという、おじいさんがいます。いつの頃から住んでいるのかわかりません。もちろん、アー坊キー坊も知りません。お父さんやお母さんにそのことを聞いたら、お父さんやお母さんが子供の頃から、この村に住んでいたそうです。そうそう、アー坊のお母さんもキー坊のお母さんも、この村の生まれで、お父さんとは同級生だったそうです。

 アー坊とキー坊は「運平さん」と仲良しです。村の子供の中には「運平さん」を馬鹿にして、からかったり、いじめたりする子供もいますが、二人は決してからかったり、いじめたりしません。村の大人も、「運平さん」を大切にしています。

 「運平さん」は、ライオンのような髪とひげをはやしています。猟師のようなボロボロの服を着てボロボロのむしろを抱えて、裸足で、雨の日以外は「雨ふらんのう!」「雨ふらんのう!」と言いながら、村をトボトボと歩き回るのが日課です。「運平さん」はボロは着てても、洗濯をきちっとする人でとても清潔にしています。「雨ふらんのう!」は、瀬戸内の方言で「雨が降らないねえ!」という意味です。「運平さん」は、雨の神様なのかも知れません。

 「運平さん」は、きょうも、村の白い砂浜を、いつもの格好で歩いています。波打ち際に打ち上げられた海藻を拾って、塩水で洗い、美味しそうに食べます。そして砂浜の途切れた岩場まで来ると、岩にくっついた巻貝やカキを石で割って海の水で洗って美味しそうにたべます。「運平さん」の今日の朝ごはんは、塩味の海藻サラダと、カキと、貝の刺身です。ときどきは、岩の間にいるタコのお刺身やカニのごちそうにありつけることもあります。砂浜には、猟師が小魚やエビをいっぱい干してありますが、「運平さん」は決して、取って食べたりしません。村の薪割りを手伝ったりして、ごちそうになります。・・・

 まあ、このような感じです。反響が良ければ、続きを披露します。まだまだ、残暑が厳しいと思います。皆様、くれぐれも、ご自愛ください。
 子供の頃の瀬戸内の村は、太陽の光は強いものの、「みょうけんさん」の社は冷房がきいているような、涼しい風が吹いていました。

平成29年9月 サルベージ 高松